なんか長くて足が生えてるやつ

とっ散らかった文章の場。夢 感想 メモ 脳内 日常

twitterの炎上案件を眺めていた時に思ったこと

火種(となりうるだろうことを理解しているもの)をまいたにもかかわらず、
実際に火がついたら

自分が言っていることはそうじゃない
どうせわかってもらえないからもうどうだっていい
はいはいそういう考え方もあるんじゃないですか
僕はそう思いませんけど

みたいな態度を議論せずにとるのは
それはあたりまえに炎上するよね

そういうスタンスをとっている以上
炎上する対象は問題そのものじゃなく
発言者個人になるだろうことは想像に難くない

と思うけどどうだろうか

とまあ自分はそういうことが面倒なので
いつも火種となりうることは書かない
もしくは逃げを打った文章を書くのだけれど

こう思うのだ
理解してほしい

というならまあ燃えるのを覚悟して戦うしかないし
その場合理論武装をしておかなきゃ
それこそ「自分の言っていることはそうではない」ということになるよな

こう思うが自分がそう思っているだけで
他人に理解してほしいわけではない

というならまあ好きにすればいいと思うが

そんでもって自分の思っていることを否定されたときに
「そうじゃないけどどうせ言っても伝わらない」と返答し
議論を放棄したうえでそうじゃないそうじゃないだけ繰り返していても

じゃあお前何が言いたいのよと突っ込まれることは必定だと思われる


人に思っていることを伝えるのは難しくて
納得してもらえないことはもちろん
「伝えたいことそのもの」すら理解してもらえないことなんて多々あるが

自分が思っていること・考えていることを他人に伝えたいのであれば
理解させることのできるように努力するほかないのではないだろうか

その努力は報われることは少ないかもしれないが
その労を取らずして何も進展しようはずもない

と自分なんかは思うわけです