夜 愚考
自分の好きなものについて、
好きであるが故によく知っているし、また知ろうとする。
また好きであるが故に盲目になるし、盲信する。
それは嫌いなものに対してもそれは同様であるように思われる。
元よりたいした差なんてないのだ。
好きか、嫌いかなんて。
好きでも嫌いでもない、つまり興味のないものに対する感情よりも、
それは大きな熱量であることは同じで、ただ振れた方向が違う。
それだけのことのように思われる。
好きなものを嫌いになることの容易さは、
多くの人の知るところであると思うが、
その反対も同様ではないか。
以前よりそんなことを考えていたので、
今まで嫌いであると思っていた「人」を
好きであると考えてみようとしたことがある。
今まで見ようとしなかったそのものの良さを認めて、
嫌であったことを気にしないようにした。
2-3ヶ月をかけて、それは叶った。
全てのことに適応しうるかどうかは、
まあ正直なところ好きか嫌いかという点ではなく、
損得や倫理観などの要因が障害となりうるので色々と難しいが、
やろうとすれば可能ではあるだろうと思う。
大概のことは自分の考え様次第だ。
そんな不安定なものを拠り所にしても、
仕方ないのではないだろうかなんて思ったりもする。
しかしまあそういう不安定な足場で遊ぶのが、
人生を楽しく生きるためには必要なのだろう。
なんて愚にもつかぬことをつらつらと思う今日この頃。