“アフターコロナ”を思考する
いわゆる”アフターコロナ“について思考する。
全世界的に多くの人々が対面しているであろうCOVID-19の感染またその拡大に関する脅威。
早期の収束を願うけれど、まあいつまでかかることだろうか。特になんの情報もなく適当なことをいうけれど、出来れば後5年くらいのうちに収まってくれないかなあなんて思っている。
また特に学習したわけではないけれど、
まあ”0コロナ“が訪れることはないだろうと思われる。インフルエンザなんかと同じような扱いができるようになれば万々歳だ。予防ができて対処が出来るようになればなあ。
とはいえ、こんな話はこの度の思考しようとしていることの本筋からは大きくずれているのでここらで置いておく。
今自分が思考しているのは、COVID-19の感染拡大またその影響が収束したとして、はたして人々の生活はCOVID-19の流行以前に戻るのだろうかということだ。
マスクの着用、手洗いうがいの徹底、三密の回避、外出自粛。今では耳馴れてしまったけれども、これらの言葉が指し示すものはなんだろうかと考えると“人は汚い”ということだろう。
強調の意味も込めてあえて強い言葉を使ったけれど、実際飛沫や空気など人が原因となってウイルス・病原体が感染する。そんなことは当たり前にみんな知っていたけれども、COVID-19の流行で目の当たりにしてそれこそ肌感覚で体験したわけだ。人は汚い/感染源だと。
そして今までの生活はなんて無神経だったのか、リスクと共にあったのかということにも気づく。実際インフルエンザの罹患率も減ったりしているわけで。
そんな体験をした後で、何もなかったみたいに元の生活に戻るのだろうか。
感染拡大を防ぐという名目で、マスク越し・透明なカーテン越しでの接客、混雑した電車の回避のための車通勤、トレーを介した金銭の受け渡し、こまめなエタノールでの消毒などなど、挙げて行ったらきりがないけれど小さな変化はたくさんあった。
そしてそれはさっぱり消えて無くなるのだろうか。
いわゆる“新しい生活様式”がそのまま残り続けることはないと思う。ただ知ってはいたけれど気づかないふりをしていた“他人”という感染源に対するうっすらとした忌避感と、感染源となりうる自分、それに対する対応は、“コロナ以前”と同じにはならないと思う。
それがいいとか悪いとかそういうことではないし、ただそう思う。
まあ確かに喉元過ぎれば暑さ忘れることもあるけどね。
何はともあれみんな楽しく過ごせるようになればいいなーと思います。