なんか長くて足が生えてるやつ

とっ散らかった文章の場。夢 感想 メモ 脳内 日常

はてブロ2日目そして五月病

ちょっと変更。

 

なかなかいい感じかなー。

サイドバーだっけかそれがもう少しせまいといいんだけど。

 

まあいいか。

 

今日は母の日なのか。

何週か前にAmazonでギフトを母に今日届くように送ったことで満足して、

まあこういう言い方なんだけどすっかり忘れていた。

 

カレンダー的行事を忘れてしまいがちになってきた。

いかんなあ。

 

世間から離れていくなあ。

と、最近とみに思う。

 

学内の寮に住んでいるから、

学外に出ることもかなり少なくて、

まあ2週に1度くらいかなあ。

 

大体半径200m範囲で生きてる。

もっと狭いかもしれん。

 

いつも同じ人たちと話しているし、

テレビだったり新聞も見ないというか、見るすべもないから

「雑多な情報」が入ってくる余地がない。

 

情報の取捨選択をしなくても、

ある程度しか興味のないものが入ってこない状態。

 

こういう生活はどうなんだろう。

とは思いつつ、もう一年。

 

「興味のないこと」に興味を持つ機会がないのは、

いかんのではないかと思うんだけど、なかなか難しい。

だって今は興味ないから。

 

ある種のこれは引きこもりだとは思うのですよ。

部屋からは出ているけど。

 

旅行にでも出てみようかとも思うんだけど、

そういう問題でもないのかな。

 

息苦しさを感じる。なーんか。

 

なんか。

遊ぶのが下手なので。

 

別に実生活がとかではなく。

ネットの中でもあんまり遊べてない。

 

常にアウェーだし、常にホーム。

新規性のない感じ。

 

twilogやらはてなダイアリーとかのログを見ると、

大体毎年この時期に同じようなことを言っているので、

まああれだな五月病的なやつな!

 

とは思いながらも、毎度もだもだしている。

 

私をスキーに連れてって

移行してみた

変えてみた。

 

タブの付け方がわからない。

まあおいおい覚えていこう。

 

物事を新しく覚えることは、大変だ。

そのぶん楽しみもある。

 

最近のことを書いてみようか。

せっかくだから。

 

新しい人がラボに入り、

色々彼らにとって新しいことを教えている。

 

教えているのはいいが、

教える側からめんどくさい、

やりたくないなんて言われてばかりで

嫌になったりもしている。

 

まあ毎年のことだが。

いいんだ別に。

 

教え方が悪いんだろう。

教わり方が悪いんだろう。

 

双方の歩み寄りでどうにかなんだろう。

 

と思っている。

 

一年経ったら、いい方向にか悪い方向にか

まあ分からんが変わるだろ。

 

もう何年か同じような生活をしてんだ。

知ってる。

知ってることだ。

 

初めからネガティブなことを

書いてもしようがないと思うから、

なんかポジティブなことを書こうか。

 

最近海が好きだ。

ということにやっと気づいた。

 

気づいてよかった。

 

何をするわけでなく、

浜辺やら港やらにいると

やたら落ち着く。

 

まあ幼少期から海の近くで、

海になじんで生きていたからだろう。

 

海が好きなんだ。

 

好きなものはたくさんあるようで、

でも気づいていないことも多くて、

だから海が好きだって気づいて、

気付けてよかったって思った。

 

何かが最近足りないって、思ってて

たまたま陸の孤島こと海に行って

波の音や風の音とか聞いてたら

本当に癒されてる、

癒されちゃってる自分に

気づいてさ。

 

1人で気恥ずかしかった。

 

まさかそんなに海が好きだなんて、

本当に自分でも思ってみなかった。

 

そんな感じ。

 

あーどっか行きたいですね。

海のあるところに。

リセットの仕方とそれからつれづれ

なんか昔っからなーんかまいってる時に
Web上の性格診断をやる癖がある

自分が憂鬱な時は
まあ大体自己否定モードにはいるから
自分という人格の再認識・再定義が
行いたくなるようなんだよな

だからと言って
診断結果を何かの指針にしたいとか
そういう意図は全くないんだけど

そんで結果を流し見して

人がそんな簡単に分類されるか
いやされるだろうとか
いいやされない
されるかもしれない
そもそも分類することになんの意味があるのか

とかどうでもいい思考に入っていって
何かどうでもよくなる

そんでなんか気分がリセットされる
されない時もあるけどさ

まあ何事に対しても思ってるんだけど
考えすぎても何にもならないなという
ことですね

馬鹿の考え休むに似たりというか

考えるの無駄だろうとは言わないが
ネガティヴなことで煮詰まった時とか
自分自身とお話ししてても
思考が下の方へ下の方へと行ってしまいがちなので

自分を客観視出来る冷静さのないときは
なんか違うことやったほうがいいよと思うね

まあそれが出来ないから
落ちていくのだけども

でもまあ思うに
大体のことってどうでもよくて

いやどうでもいいっていうか
何がどういう結果になっても
まあその時はその時なりの道が
あるよねって思っていて

結局自分がどう思おうが
何しようがどっちかには進む

なんでなんかあっても
ある程度ほっておく

ある程度ほっておいても
譲れないときは足掻く

なんで最善手探して
脳内で堂々巡りするよか
ちょっと脇に置いて
リセットしてリスタートしてさ
なんとなくハッピーな感じに生きてたいんよ

夜 愚考

自分の好きなものについて、
好きであるが故によく知っているし、また知ろうとする。
また好きであるが故に盲目になるし、盲信する。

それは嫌いなものに対してもそれは同様であるように思われる。

元よりたいした差なんてないのだ。
好きか、嫌いかなんて。

好きでも嫌いでもない、つまり興味のないものに対する感情よりも、
それは大きな熱量であることは同じで、ただ振れた方向が違う。
それだけのことのように思われる。

好きなものを嫌いになることの容易さは、
多くの人の知るところであると思うが、
その反対も同様ではないか。

以前よりそんなことを考えていたので、
今まで嫌いであると思っていた「人」を
好きであると考えてみようとしたことがある。

今まで見ようとしなかったそのものの良さを認めて、
嫌であったことを気にしないようにした。

2-3ヶ月をかけて、それは叶った。

全てのことに適応しうるかどうかは、
まあ正直なところ好きか嫌いかという点ではなく、
損得や倫理観などの要因が障害となりうるので色々と難しいが、
やろうとすれば可能ではあるだろうと思う。

大概のことは自分の考え様次第だ。

そんな不安定なものを拠り所にしても、
仕方ないのではないだろうかなんて思ったりもする。

しかしまあそういう不安定な足場で遊ぶのが、
人生を楽しく生きるためには必要なのだろう。

なんて愚にもつかぬことをつらつらと思う今日この頃。

日常

今日、普段よりも早く
といってもほかの人が普通に来るくらいの時間にラボに行った。
デスクでコーヒー飲みつつ作業していたら、ボスがやってきた。

ボス「なにかあったの?なんでこんな時間にいるの」
自分「何もないですよ」
ボス「え、噓でしょ」
自分「マジで何もないですよ」
ボス「あ、ここに泊まってたの?」
自分「そんなことないですよ。学内の寮に住んでるから、もう普段はラボには泊まらない」
ボス「昨日も夜遅くまでいたのに何で?」
自分「なんとなくですよ」
ボス「んー(不満気)」

うちのラボはコアタイムとかは特にないので、
実験器具があいているほかの人が作業していない時間に
ちょっとずらしてこれまでは来ていたけど、
これから朝は書類作業とかにもっと当てようかなと思って、
ちょっと早く来ただけで何かあるかと疑われる自分の信用のなさに笑う

ラボまで徒歩二分の所に住んでるから泊まらないよ!