なんか長くて足が生えてるやつ

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「小学校の卒業式の服装で袴が批判されている」っていう記事を読んだんです

 

「小学校の卒業式の服装で袴が批判されている」とかっていう記事を読んだんですが

その記事に書かれていることが仮に事実だとして、

その批判の中の「服装が華美になりすぎる」、

「格差を助長する」、「規制している自治体がある」

っていうのにひっかかりまして。

 

ハレの舞台に華美も何もあるんかね。

まず華美って何よっていう。

ではどういう服装が適切なのでしょうか。

定義が不明だし、もし仮に定義が存在したとして

従う必要があるのだろうか?

 

ちょっと話がぶれているのかもなあとは思わなくはないけど

さすがに全裸だったり水着だったりするとどうだろうねとは

思わなくはないんですけれども、この時期寒いし。

 

「常識的におかしい」っていうその「常識」とは?

「不快に思う人がいる」からやめろっていうのはその不快に思う人は誰?

 

なんであれ自分が嫌だっていうだったら理解はするけど、

いろいろと飾って主語を大きくするのを自分は好まない。

 

格差を助長するとかそんなんさ。

いいとか悪いとかじゃなくて経済的な差はあるだろう。

そういう社会システムなんだし。

 

あるものをないものにするのは無理でしょう。

袴を着なかったとしてその差は埋まるのだろうか。

 

自分の卒業式の時は、

白いベストにブラウンのチノパン、

カジュアルなベージュの綿のシャツを着ていた。

周りは結構がちがちなスーツかドレスみたいな人ばかりだった。

そんな中で友人に「お前はいつでもお前だな」って言われたのを記憶している。

それを言われて自分はうれしかった。

その時の自分はそれが恰好いいと思っていたから。

 

加えて

「スーツとかドレスもなかなかいいな。

”特別な日”感あるし。でも自分はこれがいい」

と思っていたのを覚えているというか記録してあった。

 

 
 
まあこういう記事の意見は「自分の時はそうではなかった」
「あの子は袴じゃなくてかわいそう」とかそういうことから
生じるものなんだろうと想像するけど、

 

「普通」って何だろうな。

差があることを「かわいそう」にしているのは何だろうな。

 

お金がかかることができる人がいて、

お金がかかることができない人がいる。

 

「普通」ができる人がいて、

「普通」ができない人がいる。

 

それはかわいそうなことなのだろうか。

差があることこそが普通なのじゃないか。

差があることで差別されるいわれなんてないと思う。

 

色々な考えの人がいる。

全てを否定はしないけど、全てに賛同するわけじゃない。

いろいろ批判したっていいけど、反抗だってしたっていいんじゃないか?

 

とはいえ現実、そういうことが難しいというのも理解している。

今まで言ったことは割と「過激」なんだろうなと思うし。

メジャーな意見に反抗しないほうがラクだと思うこと多いしね。

 

筋道から離れて「普通を謳う人」を仮想敵としている時点で

主語をでっかくしているし、まじブーメラン。

 

まあ、さ、

自分が楽しく生きたらいいんじゃないかと思うんですよね。

伝統やら社会通念に合わせたほうがよいと思えばあわせたらいいし、

逸脱したけりゃしたらいい。

ただ逸脱したら色々言われることはあるとは思うぜって感じ。

そのうえで何でも好きにしたらいいんじゃないだろうか。

 

何はともあれこのシーズン。

ご卒業おめでとうございます。

これからの人生に幸多からんことを。